1.インタビュー記事・「湘南の文化人」より ―能の世界を広げた父の志を引き継いで―

能の世界に入ったのは世襲で決まっていたのですか?


私はそういう家に生まれたことで自然にこの世界に入りましたが、父・中森晶三の代から始めた家なんです。

能は元々かなりクローズされた世界で、地盤と看板が物を言うし、切符の配布先もお弟子さん止まりの内輪だけ。
そんなあり方に違和感を覚えた父は、ちょうど戦後の混乱期でもあったため、あまり締め付けられることなく独立して鎌倉に移ってきたそうです。

そして一般の方々にも能を知ってもらいたいと、昭和45年に財団法人を設立し、翌年に舞台が完成しました。

能には見てもわかるかなという難しそうなイメージがありますが…


能が出来た室町時代頃は、普通の芝居小屋の一つでかなり面白い物だったんです。

それが時の将軍・足利義満が見に行ってスポンサーになってから格が上がり、武士達の愛好の物として どんどん派手で高尚なものになっていったんです。

それが今のように動きの少ないものになった理由は、参勤交代で各地から江戸に集まった大名達が方言同士で言葉が通じなかったため、共通語を学ぶのに能が適用されたからです。大名の中には覚えの悪い人もいますから、誰にでも学べるように簡単な動きでどれだけ美しく見せるかということに変わって行きました。能を嗜む者同士が観るので、それでも理解されたんですね。

ところが幕府が崩壊して明治以降、一般のものとして解放された時に観た人達には皆目わからない。以来、難解なイメージが定着してしまいました。

中森さんのお父さんのなさったことはかなり画期的だったのですね?


父はここを建てる前に、神奈川県内の中高校生にとにかく能を見て欲しいと、ドサマワリと陰口をたたかれながらも学校の体育館などに仮設の能舞台を組んでは能の公演を続けてきました。10万人以上の学生に見せてきたんです。それが我が家の基礎になっておりますし、私もできるだけ学校関係の催しに関わりたいと思っています。

学校が春休みの時期に「親子のための」と銘打って小学生のお子さんでも楽しめる能の公演を毎年行っています。

最初に解説をして終わった後に質問コーナーを設けて、わかりやすくて楽しいと好評をいただいています。うちの子供達も出演しますから、観客席のお子さん方も興味を引かれるようです。

お稽古をしているときは親子であることは関係なくなりますか?


かえって親子の方が厳しくなります。だいたい2歳半から3才までに始めないと遅いですし、その年齢から毎日教えるのですが、泣きながらでもやってきました。本が読めないような歳の子供に謡を教えるのですから、とにかく大変です。

自分が子供に教えるようになって初めて、「ああ、父も私を教えるのに苦労しただろうな」としみじみ思いました。  

若い世代には洋楽の方が圧倒的に人気がありますね。今後の普及をどの様に考えていますか?


実は平成14年度から文部省の教育指導要領が変わり、中高6カ年で邦楽器を必ず1つはマスターしなくてはならなくなります。横笛、小鼓、大鼓などから各学校ごとにどんな楽器を選択するか決めて、プロを講師に招きます。

流派を越えた共通マニュアルの作成が必要だったり、容易ではありませんが、この流れは能にとっても未来の観客の耳を育てる絶好の機会だと思っています。

能と聞いただけで、難しそう、と敬遠する食わず嫌いの人が多い現状を、邦楽器を学ぶところから解消して行けたらいいですね。 語り草になるような舞台を・・・・・

初心者へ能を見るためのアドバイスは?


切符の売り場で「初めてだけど今月の曲は初心者にどうですか?」とお尋ねになると良いでしょう。

私どもの会ではまず基本的に玄人向けの難解な曲はやりませんし、国立能楽堂の普及公演など初心者向けの公演も増えておりますから、どうぞお気軽にお出かけ下さい。

そして、観る時は早めに行って謡の本を購入し、あらかじめ筋書きなどを知っておくこと。始まったら本はしまって、舞台に集中して欲しいですね。

中森さん自身の、能の世界におけるこれからの夢は?


父と、観世喜之というすばらしい師が常に目標です。そこにどこまで近づけるか。

それから、私達役者の間で伝説となっている舞台がいくつかあるのですが、そんな語り草になるような舞台をやってみたいと思います。


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