Written by Ghost Writers

1.うちの台所

「財団法人」なんて大層な名前が付いているけれども、事務員は2名プラスα、補助金は年間うん万円しかもらえない零細団体です。もともと家元制度の直線から少しずれてる能楽師1個人の活躍でつくり、運営も経営もその能楽師のアイディアのみで30年間頑張ってきました。

じーちゃん、ばーちゃん、とーちゃん、かーちゃんに孫も加わり頑張っているけれども、木造の建物は古くなっていくし、アイディアはそうそうほとばしり出ないし、皮肉なもので最近の能の普及(”スター”出演の日にしか満席にならない)が却って首を絞めていく、といった状況です。

市民の税金でとみにあちこちの都市に出没する公営の能楽堂は、数千万円、数億円単位の税金からの補助金を財源として、「一流の能楽師の公演」を、チケットの売上額は公演収支のほんの数割程度しか見込んでいないような入場料金で行えます。

公演のチケット収入で純粋にその日の出演者の出勤料、経費等を支払おうと、入場者の頭割りで計算すると、結構高い料金設定となるはずです。入場料金の問題だけではありません。公営施設のつよみは広告力でです。広報等ですべての家庭に告知される公演情報は、一生懸命個人で公演ごとに新聞社を回って無料で情報として掲載してもらうようお願いに伺う努力をあざ笑います。

なまじ「財団法人」なんて名前がついているだけに、基本財産、補助金等に財源が有りそうに誤解されますが、経営状態は火の車で、公演張るごとに赤字出すような思いをしてまで続けていると、もう自主公演なんてやめてしまおうかと、そんな邪な禁句が頭をかすめます。現金の基本財産スポンサー様、欲しいです。

でも、頑張ります。自主公演続けます。

年間能のシテ40番勤めるなんて、家元クラスでもなければ、自分の舞台で自主公演続けてなきゃそうそうできないことだから。頑張れ、鎌倉からスターを作るんだ!!


2.お能の後の拍手

能楽師として、シテを舞った後の拍手、うれしいです。「拍手がないと不安になる若手能楽師・・」と批評されちゃいそうですが、やれやれ、やっと終わったよ、と言わんばかりにざわざわいそいそ帰り支度されると、なんか今日の番組つまんなかったかなと不安にはなります。

関東というか、うちの舞台は小さいので、シテが帰るとき拍手、ワキが帰るとき拍手・・と延々と拍手が続く事はないですが、今日の舞台良かったよーという肯定の拍手はお客様の暖かい声援と、励みになります。

親バカになりますが、子供が子方で出て、華を感じていただいた時の拍手や、とても上手だったよ、と帰る時にも拍手いただくと、おなじ舞台の上にいてもついうるうるしてしまったりもします。

いや〜んの会様でも触れていらっしゃいましたが、曲目による、としか言いようがないのですが、してはいけない、という決まりもないと思います。

ただ、一時、シテが幕に入るとおざなりな拍手がわき、まだ囃子方が舞台にいる間に席を立って出て行ってしまう観客のマナーが問題になって、拍手をやめようと言う流行になったことはあります。

が、能の全部が全部に「能に拍手するなんて外道だ」と正道ぶるのではなく、その日の曲目、舞台の出来などなど、本当にご覧になったお客様の気持ちひとつで、ブラボーと拍手喝采したくなったら盛大に拍手していただけばいいのだし、悲しい曲だったら、すすり泣きのひとつも聞こえれば役者冥利につくし、で、全く自然に振る舞っていただければ良いと思います。

悲しい曲でも、舞台が落ち着いて地謡や囃子方が帰るときに、早く帰れ!と煽るようにではなく、静かに、今日は良い舞台を見ましたと、拍手いただくのは、ちっともいやではありません。どうか堅く、難しく考えるのではなく、気持ちに正直に、ゆったりと構えていらしてください。

能はこう見るべきです、なんて肩肘張る必要はないのです。


3.能楽師のなり方

よく学生能なんかで「どうして能楽師になったのですか?」とか、「能楽師で食っていけますか?」などと質問されます。

シテ方と囃子方や狂言方とはちょっと違うのですが、家が能楽師だったからなった人間と、大学の謡曲部かなにかで習っていてとっても好きになり就職しないで(もしくは職を捨てて若くなくなってから)この道に入った人間と、国立の養成という学校を出てなった人間と、大きく分けて3通りのなり方があります。

どの道でも、封建制度の名残で、”書生”という、師匠の住み込み付き人の数年を過ごした後、玄人免状を許可されると、やっと半人前の能楽師のできあがりです。

観世流シテ方に関してお話すると、玄人はさらに宗家・分家・職分家・準職分家・師範の5段階の身分にわかれています。職分家以上の家に弟子入りし、最低5年間住み込んで修行をし、年2回の研修会に出席し、その後、職分家の推薦により宗家から免状が交付され、玄人として独立します。ここで、玄人を育てられるのは、職分家以上の家である、というのがひとつのポイントです。

宗家、分家は世襲制です。職分家は、能楽師として活動して四十歳になったら認可される、とちょっとハードルがあります。

あまり世間ではメジャーではないのですが、東京芸術大学(芸大のことよ)には音楽学部邦楽科能楽専攻という科があって、玄人の子供はここを出ている人が多いです。ただこれは玄人になるのに必ずしも必要な道ではなく、ここを出てから先に言った5年間の住み込み修業をしなければならないのです。出ても玄人にならずに普通の職に就く人も多いのですが。

という風に、半人前の能楽師への道は長く遠く、27歳ころになりやっと独立しても、もちろん舞台出演だけじゃあ食べていけやしません。 師匠や、家が能楽師の人間は親父様よりお弟子を回してもらって修行かたがた謡の稽古、舞台に装束つけてたてる明日を夢見、たまの舞台は本当の車代、大変です。

この”出演料”の話はまた後ほどゆっくり。


4.一公演のお値段

「能一番、狂言一番、いくらでできますか」と聞かれることがあります。全くの所、ぴんからきりまでです。出し物によって構成する能楽師の人数も規模も変わってくるし、やらせていただく場所の状態によっても、その場所のある所在地まで問題となってくるからです。

能楽協会に所属する玄人の中でも、シテ方以外の三役(囃子方、ワキ方、狂言方)には細かく規定された料金表というものがあります。個人の料金表(力量、玄人年数関係なく、年齢のみでランク別されています)、会の種類の決まり(能楽堂料金、能楽堂以外のホール等での料金、素人会での料金、地方料金、別会料金etc.)があり、その他にも小書(特殊演出)がついた時の料金、狂言あしらいの料金等々、会主は間違いないように出勤料の計算を出さなければなりません。

学生能などを受けて学校の負担を考えると安くしてあげたいのですが、この部分は削れません。ところが、シテ方には料金規定がないのです。シテを舞った人間がいくらとろうと、地謡や後見の人間にいくら払おうと構わないのです。ということは、反面、払わない会もある、ということにもなります。シテ、ツレ以下、8人の地謡、後見、働きと12〜3人のシテ方はご奉仕、という会も玄人会にはあります。

1ヶ月にたくさん舞台があってもご奉仕ばかりじゃ、霞食べて生きる仙人になってしまいますので、常識的な基準というものはあります。 (ただ人によって”常識”の物差しがまちまちではありますが。)

その他、装束能面を自前で持っているかどこかから拝借するのか、作り物がとーっても大きくて運送屋さんを頼まなければならないようか、一日ですむ距離か泊まるようだと二日つぶれるとか、これから毎年あるようなら割り引いてあげようとか、ありとあらゆるいろんな要因が絡まって、一公演あたりの請負金額には人数×金額+−αにβということになり、相場というものが決まっておりません。

だいたい普通の曲目で(何をもって”普通”と考えるかは???)解説にお能一番、狂言一番の番組立てでだいたい二十七名〜三十名くらいの大所帯となり、それに装束料、作り物の運搬費等考えて、舞台設営はあなた持ちでこれこれしかじか・・・・。

詳しくはお問い合わせくださいませ。


5.鎌倉能舞台って、場所の名前、団体名?

「主催が鎌倉能舞台で、会場が横浜能楽堂ってありますが、いったいどっちでするんですか?」この場合は会場の横浜能楽堂に来て下さい。私たち鎌倉能舞台の人間が受付か楽屋で立ち働いております。

私たちは鎌倉の長谷に「鎌倉能舞台」というハードを持っていますが、「鎌倉能舞台」というソフトで公演を行います。

能はシテ方、ワキ方、囃子方、狂言方という違う職制の玄人が集まって「座」を形成して、その日の番組を共演します。その日のその座にジョイントしてくださいと頼んで出演して頂くとき、主催・出演「鎌倉能舞台」という団体名で公演させて頂いております。


6.能楽師の生活

能楽師の舞台の出演依頼はとても日本的です。たいてい1年前、へたすると2年くらい後のお約束なんてこともざらです。それを契約書を交わしたりせず全くの信頼関係で「○月○日どこそこの催しで曲目は○○でお願いします」、と依頼して、「はいはいお受けします」と手帳に書き込みます。能楽師は手帳が命です。

狂言方、ワキ方はプロダクションのように窓口があって、そこでまた一座を組んで出演します。囃子方は個人経営です。どの流儀のどこの会にもよばれます。

能楽師はからだが資本で「有休」は無く、仕事の選り好みはしない事になっているので、売れっ子になると日本中飛び回っていて、お弟子さんの稽古日をいれると、この週休2日の時代に2ヶ月で1日しか休みがない、なんて人もいます。

能の会は、だいたいが普通の人が休日の娯楽として楽しむものだから、祝祭日の催しが圧倒的に多いので、子供の幼稚園や学校の運動会、父親参観日なんてものにはまず出席できません。たいてい休日母子家庭です。

ところがへんな平日に休みだったりします。ど平日にグループでゴルフしていて、やくざ屋さんと間違われたり、朝時間があるからと毎日幼稚園の送り迎えをして、失業中とまちがわれたり、普通の会社員の人とはちょっと違う生活パターンかもしれません。


7.公演でのアクシデント

そのいち・・頼んだはずの出演者が来ない!ワキが来ない、太鼓が来ない等々、5年に1度くらい1人くらい出ます。真っ青です。紋付きのままワキ勤めたシテ方、ひとつ欠けた囃子、その日のうちに能楽界中に知れ渡ります。

こちらが「頼んだつもり」で 実は頼み忘れていた事も、相手の方が日にちやら、場所やらを間違えていたということもありますが、はっきりいって事故のようなものです。 頭痛いです。

自分の家の会なら頭痛いですむけれど(では本当はいけないのですが)、 受託公演の場合、契約違反になってしまいます。大変です。

そのに・・・薪能が雨で流れる。2時間も前からテントの楽屋に入り、装束付けて、お客も入って、そこへ、雨。お仕事終わり、ラッキー、ではすまされません。

雨天用と両方舞台の用意をする所は (お金もかかるし)あまりないので、もう一度全部片づけて、雨天用の体育館なりに移動して、準備が整うまで1時間くらい待って、本当だったら終わって帰れる頃始まる・・ なんて事もありますし(これはこれでとても疲れる、出演者のご機嫌が斜めってなだめるのも大変)、

お客も舞台も移動できないから開演後やっぱり中止、なんて事になると来年お仕事がなくなる比率も高くなるし、何たって天災のせいなのに、ただで出演料だけせしめたような後ろ暗い気にもなるしで、なんでお天気任せのアウトドア能なんて流行るのかと(流行らせたお膝元なのに)思ってしまいます。

そのさん・・忘れ物。よくあります。大は幕、装束、面、作り物から、ひも類、足袋、なんでもあります。近場の能楽師を捜しまくったり、取りに帰ったり、現地調達で竹切ったり、ゴミ袋で頭巾作ったり、パニックです!!


8.薪能

そよそよと吹く心地よい風。篝火が揺れ、頭上には月。風雅ですよね、薪能のイメージって。

でも、雨降るとできないし、風強いと煙いし、季節はずれると寒いし、真夏の宵だとまだ暑いし、出演者としては絶好のロケーションとはいえません。

この「雨」がくせ者です。ぽつりぽつりの小雨、今にも止みそうな感じだが・・でも、はっきり言って、雨一滴でも当たりたくありません。

それは酸性雨で禿げると困るか、風邪引いちゃうとかの問題ではなく、装束とお道具のためなのです。今時は成人式の着物を大雨の中ばしゃばしゃはね飛ばして歩いてるご時世だから、正絹を濡らすとだめになるという感覚がないのかもしれませんが、本物の、贅をこらした装束はたまりません。

能面も「これはほんの新面でして、ほんのこの前の日露戦争の頃の物でお恥ずかしい次第で・・」というくらい年代物の木と漆の作品だし、400年前の名管が代々受け継がれている能管だの、50年打ち込んだ馬の皮と桜の胴でできた鼓、どれもこれも雨で一瞬に使い捨ててしまえる物ではないのです。

仕事を受けたからには満月のさわやかな星空でできますようにと、祈る気持ちでいっぱいです。


9.昨今の能のスター

ひと昔前は能の会というのは先生が弟子に切符を売りつけて、内輪の人が内輪の先生を見に行く会がほとんどだったのが、最近お客さん層も変わってきて、考え方も、普通のお芝居を見に行く感覚で、ぴあでチケットを買いお目当てのスターを追っかけて・・・という風になっていますが、これがおかげで、今能・狂言の公演はいかにメジャーになるか、いかにマスコミに大きく取り上げてもらえるかの戦いになってきています。

ファンクラブができて、楽屋にまでスターを追っかけ来てて、体験講座の時にそっけない態度をとられちゃった・・なんて怒るファンまでいたりして、ちょっと違うんじゃない?というお客様方も。

特に、曲目やその”座”の公演を見に来たのでなく、そのスターひとりを見に来ていると思うと、病気のひとつもできないし、午前、午後で他の人と入れ替わることもできず、全くの肉体労働。

しかも、最近の観客の方々は目も肥え、結構シビアだから、スターでいるためには日夜、ものすごい努力を欠かせない。

はたまた楽屋では、スターだなんてふりも見せず、並み居る諸先輩方の中きちんとおしつけを受けた能楽師でいて。スターも大変みたい。

自分ひとりで昨今の古典芸能の隆盛を支えねばと思うと、それはとても重い任務だと思います。だから、スターひとりに能楽界の明日を任せるのでなく、始めの一歩、スターの公演を足がかりに、たくさん、いろんな公演に、偏らずに来て下さい。

伝統芸能のあしたは観客の皆様のお心ひとつで、なごやかにもとげとげしくもなるのです。


10.お能の見方
どうか、能に対して特別な先入観を持たずにお出かけ下さい。

今はいろんな風評が錯綜していて、この先生はこんな芸風で舞う、この先生の囃子はいつもどうだ、この会の公演はきっとこうだろう、能を見る観客のマナーとしてはこうあるべきだからこうせねばならない・・・? 緊張してしまいますよね。

特に「能を見る」時に特別なきまりがあるわけでなく、普通に劇場に行くときと同じ最低限のエテケット、でよいと思います。『公演中は携帯等の電源を切る、私語はしない、ガサガサ音をたてて飴玉を食べたりしない、写真撮影やテープ録音はしない・・・』等々。

またよく、謡のお稽古をしていらっしゃる方が興にに乗って観客席で一緒に謡っちゃう、なんてのもご愛嬌ですが、周りの方から白い目で見られるので、公演中の自主トレはやめましょう。

あと、舞台を見ずにずーっと下を向いて謡本とにらっめこ、というのも、せっかく舞台にいらしたのにちょっとは見たら、と思うので、文句の研究は予習、復習に任せましょう。

ただ、公演の始まる前にあらすじ、どんな人物が登場するのかくらいの予備知識は仕入れておいた方が良いでしょう。


11.能と想像力

能には背景もテロップもありません。筋書きからアクションまで、とてもシンプルな構成なので、今どんな状況のどんな場面なのか、想像力をフルに働かせていただかなければなりません。

じっと向かい合って謡うワキの謡の中で旅がどんどん進んで行って早や安宅の関に着いたり・・

義経が正面を向いて3歩前に出ると残された静御前との距離が瞬く間に広がり永劫の別れとなったり・・

舞台の上に広げて置いた装束が病床の御息所だということになっていたり・・

仇役の本人は既に切戸口から戻ってしまったのに舞台の上に残された笠を差す真似で仇討ちの成功ということになったり・・

ひざをついて頭を低くした事で殺されてしまったことになったり・・

こういう場面の約束事は事前に知っているのといないのでは、全く筋の理解度が変わってきます。

うちの宣伝になりますが、「能を知る会」ではその日の公演の最初に、自称”かっぱえびせん(話出すと止まらない)”先生が予備知識についてお話しますので、初めて能を見る方でも何となく筋の流れもおわかりになる事と思います。


12.作り物、小道具

能の道具には’大道具’はありません。完成した形の道具の中で一番大きいのが一畳台で、これは山やベッドになります。字の通り一畳大の木の箱で、これに台掛けという生地を張って使います。

後は大抵の作り物は竹を割って作った骨組みを組立て、棒地という包帯のような布を巻いていったり、引き回しという絹の大きな布をかぶせたり、さらにそれに花や榊を飾ったりして作ります。

道成寺の鐘も殺生石の石も普段はばらばらにしてしまってあります。

作ってくれる業者がいるわけでなく、組み立てるのも、その家に無いときには作成するのもみんな能楽師のお仕事です。

頭に載せる冠や帽子の類は「烏帽子屋」さんに作ってもらいます。勿論オーダーメイドなので、とってもお高いものもあります。烏帽子類は漆で仕上げてあります。

冠は鶴やら亀やら花やら龍やら蝶やら月やらいろいろ必要です。

せっかく作っても、その曲にしか使わない、というかぶり物が多いので、一生の内使うのはたった1回かもしれないけれど、孫、子のために揃えていきます。

最近手に入らないのが、鷺の羽です。本当は「鷺」の時、頭にかぶる輪冠には鷺の羽をつけるのですが、新しくはどうしても手にはいりません。古くからの家や、うちでも幸い本物の鷺ですが、最近作ろうとすると他の白い羽で代用するようです。

太刀も新しく作ろうとすると大変で、うちでは最近鎌倉のお土産やさんの紹介で人が見つかり、子供のサイズに作ってもらったり、ぶち折ってしまったなぎなたを修理してもらったり、重宝しています。


13.オブジェな動き

能や狂言の中ではしばしば、シテだけが動き回り、他の人間はあたかもオブジェかマネキン人形の様に、舞台の上で全ての動きを止めている役になっていることがあります。

能の隆盛は封建武家社会の中で育まれたもので、プロの役者の芸ではない愛好者の芸能であり、将軍、大名が自ら演じることも多かった。極端な言い方をすれば、能は素人のシテ(お殿様)にうまく能を舞わせるために、プロが全力を尽くしておつきあいをする芸能だったと言えます。

その歴史の中で、シテがひとりスポットを浴び、脇方、間狂言、子方などは自分のほんの少しの型や謡が終わると、シテの邪魔にならない舞台の片隅で、あたかも息もしていないかのように、動きを止めているという演劇になったのでしょう。

今時の教育はクラスに36人の子供がいれば、主役、脇役を作らず全ての子供にひとことずつの役でもつけるよう苦心しますが、能はその点全くのシテのひとり舞台のため、全ての役者がそれを盛り上げていく、という一点豪華主義がまかり通っています。

「安宅」で弁慶が勧進帳をよんでいる場面、最後の方でわずかにワキの富樫が覗き込もうとするくらいで、間狂言、山伏達とも固まっています。

「鞍馬天狗」で天狗が飛んだり座り込んだりして武芸を教えている間、牛若は長刀片手にびしっと立ち続けています。不思議なことに、8歳の子供でも何でも、これがこの能の中の自分の役割だと悟れば、がたがた動いて邪魔に成るようなことはなく、プロ意識をもってきちんとじっとしていられるものです。

この鍛えられたオブジェの人々の緊張感がまた能のとても大きな特徴をかもし出しているのでしょう。

しかし、オブジェな人のほんの一言のセリフが一曲を台無しにしてしまうこともありますし(シテの謡いに対してバランスが悪かったり、謡い出しが遅かったり・・)、 ひとことも発しないで、最初から最後までただすわっているのはやはりプロの能楽師にとっても足は痛いし、本当に辛い役です。

人がたくさん出てくるのにただオブジェのように居るだけで勿体ないな、と思う曲もたくさんあります。

それぞれにスポットライトを当てて型を振り分け、セリフを与えれば、「能」でない新しい芸能となり、役者もやってておもしろくなるかもしれないし、観客も退屈でなくなるかもしれません。

しかし、伝統を守っていくのか、受けをねらって変わっていくか、これから能がどのような方向に進んでいくのか、難しいところではあります。


14.オブジェなCM


某航空会社のCMで、今をときめく狂言スターが、まるでサンダーバード人形のように人間スローモーションをしているのがあります。あのCMもとっても「オブジェな動き」だと思いました。

CMの多くはリアリズムを追求して、機械を駆使して動きを作り替えたりしているのに対して、あのCMは狂言ちっくな、鍛えられたオブジェっぽい動きがかえってアナログ的で新鮮に写るのでしょう。

ひとつひとつの型がきちんと身体にうえこめらている「プロの狂言師」という素材が生かされ、しかも新鮮に見える、良く考えられたCMだと思います。

最近ちょっと路線の変わったCMが多いですね!うちの子供もオブジェになれますのでよろしくお願いしますよ、マスコミの方々!

あ、ちょっと、太りすぎ・・・?


15.型

シテ方も狂言方も、型が基本です。広い舞台をひとりで動いて観客を惹きつけるためには、ひとつひとつの型がぴちっと決まらないと、学芸会になってしまいます。

どこのどの場面を切り取ってもきちんと出来上がった動きができている、その基本をふまえて、この場面はもっと大きくやろう、ここはさらっと流そうと、それは経験や教えから足したり引いたりして舞台を勤めます。

能の型はそんなに多くはなく、その組み合わせにもきちんとした流れがあります。江戸時代に武士の式楽となってからの能は、プロの芸を見て楽しむ物ではなく自分自身が演じて楽しむ、言うなればアマチュアのための芸能でした。将軍や大名も器用で物覚えの良い人ばかりではなかったので、なるべく簡単で安全かつ格好いい動きに洗練されていったのでしょう。

能の動きを文字にして書いた物を型付と言いますが、同じ種類の曲(高砂と弓八幡等)を並べて見比べてみると、舞囃子になっているところ以外は非常に似ています。また、逆に女性をシテにする「熊野(三番目鬘物)」と男性をシテとする「芦刈(四番目現在物)」のクセの仕舞が全く同じ型になっていたりします。それをいかに「らしく」舞うかが、プロの技量として問われます。

プロとアマチュアの一番の違いは、同じ動きをいかに違う姿に見せるかという技量、短い時間で一曲一曲を正確かつ美しく仕上げなければならないということ、と言えるかもしれません。 


16.伝承ということ


型をどういう風に教え伝えていくか、これは「家」や「芸」の伝承方法の考え方です。その家の後継の者にのみ、実践的な詳しい方法(秘伝)を教え、弟子筋にはぼかして、感覚的にしか教えない−という考えの家もあります。

たとえば、右手をあげる角度を、具体的にどういう型になれば正しいのか教えず、からだがわかるまでやらせる、と言って「違う、そうじゃない」と言い続けて教える・・。たまたま良い型になった時に「そう、今のが良かった」と褒められても、どうなった時に正しかったのかわからなければ、次に同じ型が出てきてもまた同じ事の繰り返しになるだけです。

それを、「サシ込みの型は、右手は胸の高さで肘は自然に張り、右手が上がっている時は右足で止まる・・」「上げ扇の型の後は必ず左右の型・・」などと具体的に指導すれば、からだだけでなく、頭で理解できるので、上達は早いのです。これは理系の教え方です。

しかし、動きだけを覚えれば能が舞えるかといえば、それだけでは無理な事です。今ならばビデオもカセットテープ(今はMDですか?)もあって、型や謡のお手本はいくらでも手に入ります。でも表面の動きはわかっても、その動きが何を意味しているかがわかっていなければまさに「仏作って魂入れず」の舞台ができあがってしまいます。

それから先、花が咲くかは、本人のセンスや努力(国語系の実力)がものをいってきます。。 先人達の失敗の経験値を積み上げた、俗に「秘事・口伝」と呼ばれているものは、そういう全てを指しているのでしょう。これはしかし、先生や先輩が全てさらけ出して教えてくれるものではなく、本人が稽古を積み、しかし行き詰まってしまった時、教えを請うて始めて手に入れられるものなのです。


17.体験学習


鎌倉という土地柄、修学旅行や遠足で学生が年中あふれています。外国の観光客も大変多いです。こういった、「伝統芸能未触」の全ての人々に、鎌倉に来たからには日本の伝統芸能「NOH」に触れていただける体験スペースとして、観光産業と共存するのがこの弱小舞台の生きる道だとも考えています。(バリに行くと「バロンダンス」、中国に行くと「京劇」、外国人観光客としてオプショナルツアーで見せられますよね。鎌倉で「Noh-Dance」鑑賞、いいじゃないですか!!抜け駆けはいけませんよ、うちに要請してくださいね、鎌倉市さん!)

この「体験」というのが、最近は「見る」から「やってみる」を意味さすようになり、能でも狂言でも、舞台に生徒上がらせて、例えば楽器をさわる、型をやってみる、等々の、実際にやらせるのが体験学習と思われているようですが、ちょっと一拍待って下さい。生徒さんは、(そして時には先生方も、)それまで実際に能・狂言をご覧になったことがおありでしょうか。

本やビデオで勉強しただけではなく、実際にプロの舞台の実演を見て、その舞台に興味を持って、自分もやってみたくなって始めて、「体験してみる」ということが生きてくるのではないでしょうか。

教科書に載っている「附子」を教室で読み合って、ビデオで型を真似して生徒同士で演じてみる−良い試みだとは思います。でも、実際の狂言方の舞台を見た生徒は、その30分で、600年続いた伝統を感じる事でしょう。そして、2回、3回と見るうちに、舞台の上で「太郎冠者、おるか、おーるか」とやってみたいと思うかもしれないし、恥ずかしくて絶対やりたくないと思うかもしれない、そのくらい時間をかけてから、実は笑う型にはこれこれこういう型とああいう型があって・・・とやってもらえば、それはそれは楽しい体験学習になるでしょう。

見たこともない、聞いたこともない、始めての事をやらされて、「今日はつまんない事やらされた、日本の伝統芸能だってさ」と、それだけで終わってしまうと、2度と自分から能舞台に足を運ぶことのない若い世代を育ててしまうのではないかと、却ってとても心配に思います。


18.能の家の子供


能の家の子供は、立って喋れるようになる2歳頃から、いわゆる『稽古』をつけられます。

教えるのが父親だろうがおじいちゃんだろうが、一歩稽古場に入れば、『師匠』と『弟子』の関係になり、2歳の子供でもきちんと正座して扇を前に置き、『お願いします』、『ありがとうございました』と、頭を下げることから始まるのです。

能の世界は相も変わらず男社会のため、継承者としては男の子が生まれた方が喜ばれますが、子供が役を務める「子方」は不足がちなため、子供のうちは男女問わず稽古をつけて、舞台に出すことが多いです。小さいうちは、結構女の子の方が気丈で、役者くさかったりするものです。

能の家に生まれた子供は、普段から父親やおじいちゃんの舞台を見たり、ちょっと年上の子供がお舞台を勤めているのを見たりしているので、「舞台に出る」、「そのためにお稽古をする」ということに、あまり抵抗は無く、却って、ご褒美欲しさに、次のお役が回ってくるのを楽しみにしていたりもします。

2〜3歳頃「鞍馬天狗」の花見の子供の1人としてデビュ−、「安宅(あたか)」の義経、「鞍馬天狗」の牛若などを経て、6〜7歳頃、初シテの被きをし、「烏帽子折(えぼしおり)」で子方卒業(声変わり寸前)、という道筋を取ります。

他にちょうど良い年回りの子がいなかったりすると、多い子で、年間20番くらい、子方として舞台に出ます。子方で子供が使われるからといって、ついでにお父さんも雇って貰われることもあって、子方さまさまです。


19.世界遺産

能狂言がユネスコ 「人類の口承及び無形遺産の傑作」 に認定されました。

具体的にこれから先日本が能をどのように扱ってくれるのか、何も方向は決まっていないようですが、「能狂言がこのままの姿で存続することが『世界の遺産である』と認められた事」がまず、とてもうれしく、そしてまた、ほっとしてもおります。

能狂言が600年続いた「日本の伝統芸能」であり、「世界最古の仮面劇」であり、「世界でも稀少な最初の姿をより正確に伝えてきた演劇」だとしても、昨今の演劇、オペラ、バレエ、オーケストラ等々、様々な芸能の中で、ずばぬけておもしろく興味深い物だとは思われなくなってきている事は、事実です。

薪能さえ出せばチケットは完売するという、一番の隆盛期は過ぎた、というのが我々の実感でした。最近では、能狂言がすたれないために、様々な工夫が必要となってきています。

そのための手段として、
「能狂言界からスターが出現すると、こぞってそのスターに出演を願い、スター目当てのお客の動員をはかる」、
「伝統にのっとったままやっているから、お客がついてこなくなる。内容をどんどん変えて、今の人たちに受け入れられる演劇に変えていく」、
「能楽師の生活の保障は考えず、どんどん受託公演料をダンピングして、とにかく安価でも公演を取ってくる」等々・・・されてきています。

どれも間違った方向ではないかもしれません。しかし、これらの工夫のおかげで(せいで)、ますます能の公演がやりにくく、チケットも売れにくい状態になってきているのも、事実です。

まず、スターとダンピングの問題。これには「芸がおろそかになる事」、「普通の会のチケットが売れにくくなる事」、「能楽師では食べていけない=能楽の後継者が育たないという事」等の問題をもたらします。

番組にスターが出ればチケットが売れる。するとスターの取り合いになって、どの会にも同じスターが出ずっぱっり。お客が飽きるのが先か、スターの芸がつぶれるのが先かという事態になってくる。逆にスターのいない会は、いくら良い能狂言をやっていても、チケットが売れない。そこで、本業はなおざりにしても、手っ取り早くマスコミに名前を売ってスターになりたい玄人が出てくる・・・。

能狂言の舞台は、その一日の本番のためにも、長年の稽古の積み重ねが無ければ勤まりません。玄人は自分の職種以外の全ての職種の稽古をしているものです。足の痛いだけの下積みの生活を、何年も過ごしてきているのです。

しかしこの「長年修行を積んだ年数と努力」「覚えるのに要した時間」「足が痛い、装束が重い、手が腫れる、耳が聞こえにくくなる等の、肉体的苦痛」、これらは能狂言のその日の出演料に正当に加味されているとは言えません。規定通りの当日の出演料には、長年の修行日数は含まれていないものです。

さらに、「赤字覚悟でダンピングして安い値段で公演を受ける」ところが出てくると、常識的な普通の金額で仕事を受けているところは依頼がなくなり困ります。しかし、安く受けた会も、結局出演する能楽師の出勤料を抑えるより方法はなく、どちらの場合でも、能楽師にとって良い事はありません。すると、あちこちかけもちして仕事を増やさなくてはやっていけないので、結局自分の稽古の時間が取れず、芸がおろそかになり・・と堂々巡りになります。

そしてこれが一番問題ですが、「現代人にもわかるように、能狂言自身を変えていけば良い」という思想。変わっていけば、おのずから、能狂言の伝統は崩れて行きます。

観客に狂言の言葉、謡いの文句が通じなくなってきている。では、昔の言葉をやめて、現代のことばに直せば良いじゃないか。筋も今風に変えよう。能も筋書きに関係なく、動きもなくすわって謡ってるだけのところははしょり、おもしろい動きをどんどん増やそう。

前シテと後シテの間に装束を取り替えると時間がかかりすぎるから、あらかじめ装束を着けた人間が2人でシテをやればよいじゃないか。間(あい)狂言の言葉も観客には通じてないようだし、若い狂言方は覚えられないから、ここも止めてしまえばよい・・・・。

このように、どんどん変化させてしまったら、「能狂言は世阿弥が作った姿を正しく伝えている遺産」と言えるでしょうか。 今、能狂言界では、このような問題を抱えています。能狂言をそのままの姿で伝えていく事が難しくなってきている事。それは観客と、伝えていく能楽師、双方の問題でもあります。

能狂言が世界遺産になった今、全ての人々が能狂言を一度は実際に見る体験を持って欲しい、と思います。 そしてまた、能狂言についての知識を、世界の人々に自国の誇れる文化として語れる程度には、知っていて欲しい、と思います。

さらに、能狂言を伝えていく立場の人間が、長年の修行があっても能楽師であることに誇りを持ち、全く能と関係の無い若い世代も能楽師になってみたいと思えるような職種となるよう、国は保護して欲しいと願います。

日本人全ての無形遺産として、能狂言を守ってください。


20.「県民のための能を知る会」

鎌倉能舞台では「県民のための能を知る会」という催しを40年近く続けております。

昭和33年に中森晶三が能楽研究会を発足(後に「鎌倉能の会」と改称)、当時の鎌倉ホテルの宴会場を借りての定期能を開始し、同時に神奈川県内の中高生を対象とした「能楽教室」を出張公演し、数十万の新たな能楽鑑賞経験者を産み出しました。

その後、鎌倉能舞台の建築が実現した後も、初めて能をご覧になるお客様向けの「家庭婦人のための能を知る会」(後に「県民のための能を知る会」と改称)を、解説、狂言、能一番という形で始め、今に至っています。

「県民のための・・」という題名になっていますが、もちろんどこのご出身の方でも、チケットをお買い求めいただければ気負わずに見て頂ける公演でございます。

さて、この「県民のための能を知る会(長いので以後「県民能」と略させていただきます)」が何故、平日2回公演、そして解説30分、狂言30分、能1時間、質疑応答20分という形を取っているかという理由について説明いたします。

まず、お客様のご利用になりやすさを一番に考えた、というのが第一の理由と言えましょう。

最初にテーマ別の能についての豆知識と今日の演目の簡単な解説をすることによって、初めてその曲をご覧になる方も見どころを知っていただけますし、能も1時間の長さなら飽きずにご覧いただけるでしょうし、また直後に質疑応答の場を設けることによって、疑問をいち早く解決してお帰りいただける事でしょう・・・これが「県民能」の昔から変わらぬ形でございます。

開催曜日・時間に関しましては、最近の主婦は皆さんお忙しくて平日の昼間もなかなかお家におられないようですが、昔は子供さんやご主人が出かけて留守の間、すなわち平日の昼間が主婦がご自分の趣味に当てられる貴重な時間であると考え、平日の朝10時始め、午後1時半始めならば、夕方にはお家にお帰りいただけるだろうと、このような時間の設定となっております。

解説から質疑応答までで約2時間半の公演という形は、座布団と座椅子にお座り頂くのはこれが限界だろうという思い、また休憩無しなのでお手洗いを我慢できる時間もこれがリミットではないかという、そういった理由もございます。

能が全て一時間で終わるわけでは無いのですが、あくまで鎌倉では「初心者の方でも楽しめる公演」というのを基本に考えておりますので、曲の筋がおかしくならない程度に省略を入れる事も多く、これは決して初心者を舐めているとか、二回やるから手を抜いているという理由からではなく、「県民能」に対する40年来続く私たちの基本方針だとお考えいただきたいと思います。

また、舞台が普通の寸法より狭く、橋掛かりも短いため、大曲や人数物の曲の上演は無理だという理由もあります。そのため、「能を知る会東京公演」、「能を知る会横浜公演」という出張公演を別に催し、長い曲、通好みの曲、大曲、人数物の曲はそちらで出すようにしております。

公演をするこちら側からの理由としましては、キャパが上限で160名という大変狭い会場のため、東京から玄人を呼んで公演をした場合、一日二回の公演のお客様のご入場が無いととても精算が取れないという下世話な理由、また、もともとこの鎌倉の公演は、「若手の玄人の修行の場に使ってもらおう」という考えもあり、同じ曲を二度続けてやるのは若手玄人にとって大変良い勉強になるだろうという理由、等がございます。

お客様から土日の公演を増やして欲しいというご要望も多く、土日の公演も増やしていこうとは心がけておりますが、一日二回の公演、朝も早くから鎌倉に缶詰・・・という玄人にとっての悪条件が重なっているためなかなか難しいのは確かです。

というわけで、「狂言目当てのお客のために能を端折ってやっただろう」というご意見もありましたが、そのようなわけではなく、「初めて能を見る方にも楽しんでいただきたい」、これが基本的な私たちの思いであり、県民能の方針だとご理解いただきたいと思います。

とは言え、曜日、時間、曲目等々、お客様からのご意見・ご要望については検討させていただき、変えられるところは変更して行きたいと思っておりますので、ご意見はどんどんお寄せ下さいませ。


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